Top > 1-23. 脂質

水に溶けない重要な物質

皆さんは「脂質」といえば何を思い浮かべますか。正直なところあまり良いイメージはないのではないでしょうか。飽食で平和なこのご時勢、脂質は容姿を悪くしたり病気の原因になる邪魔なものとされても仕方ないかもしれません。

しかし飽食と平和のどちらかあるいは両方が失われたとき脂質は邪魔なものから貴重なものに一転します。それは脂質が生物にとって無くてはならない重要な物質であるからに他なりません。私としてはあまり脂質のことを悪く言わないでほしいと思っています。

ではなぜこれほどまでに脂質が重要なのか、この項では様々な脂質の種類とその役割を述べていくことにします。

脂質の分類と多様性

そもそも脂質とは何でしょうか。これまでに述べてきた有機化合物はそれを特徴付ける構造や官能基を持っていました。例えばアルコールではヒドロキシ基、アルデヒドではアルデヒド基、糖類ではアルデヒド基またはケトン基とヒドロキシ基の両方といった具合にです。しかし「脂質」の場合は脂質を特徴付ける決まった構造や官能基がなく物性だけで定義されています。

一般に脂質の定義は「生物によって利用される水に溶けない物質の総称」とされています。決まった構造や官能基はないものの化学的な特徴としては炭素と水素が全体の大部分を占め、酸素などのヘテロ原子があまり含まれていないことが挙げられます。脂質は英語でLipid(リピド)といいます。

Table. 1-10 脂質の分類

脂質の分類をTable. 1-10に示しました。大分類は単純脂質、複合脂質、誘導脂質があり、その下にアシルグリセロールやコレステロール等の小分類があります。例として挙げた物質の中にはどこかで聞いたことがあるものもあれば全く聞きなれないものも多いかと思いますが、順を追って説明していきます。

単純脂質は脂肪酸とアルコールの単純なエステルです。アルコールがグリセリンならアシルグリセロール、コレステロールならコレステロールエステル、高級アルコールなら蝋になります。エステルが何かわからない方は1-22. カルボン酸誘導体を参照してください。

複合脂質は脂肪酸とアルコールのエステルにリン酸基や糖がついたものです。リン脂質は細胞膜を構成し、血液凝固などの生理活性をもつものもあります。糖脂質も細胞膜に存在し、細胞間のシグナル伝達を行う上で重要な役割を担っています。

誘導脂質は単純脂質や複合脂質から誘導される脂質で、一般にエステル結合部分をもたないため加水分解しても脂肪酸が遊離しません。遊離脂肪酸、ステロイド、テルペノイド等、単純脂質と複合脂質のどちらにも分類できないものが誘導脂質であると考えてください。

脂肪酸

脂肪酸とは炭素数が4以上の脂肪族モノカルボン酸(アルカンやアルケンの末端のメチル基が片方だけカルボキシル基に置き換わった化合物)の総称で、C=C二重結合の有無から飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸に大きく分類されます。(Table. 1-11)

Table. 1-11 様々な脂肪酸とそれらを多く含む食品(酢酸とプロピオン酸は一般には脂肪酸に分類されない)(クリックで拡大)

飽和脂肪酸の代表例はパルミチン酸で、炭素数16のアルカンであるヘキサデカンの末端にあるメチル基をカルボキシル基に置換した構造をしているためIUPAC命名法ではヘキサデカン酸と命名されます。融点は63℃と高いため常温では固体で、ラードなどの動物油脂にグリセリンエステルの形で多く含まれていて体脂肪の成分でもあります。


Fig. 1-92 パルミチン酸の構造式(クリックで拡大)

不飽和脂肪酸の代表例はオレイン酸で、炭素数18のアルカンであるオクタデカンの9番の炭素原子に二重結合が入った9-オクタデセンの末端がカルボキシル基になった構造をしています。IUPAC名は9-オクタデセン酸です。


Fig. 1-93 オレイン酸の構造式(クリックで拡大)

図を見てわかるように二重結合の部分はシス型になっています。不飽和脂肪酸の二重結合は基本的にシス型で、トランス型はバクセン酸などのトランス脂肪酸やリノール酸の構造異性体で共役π電子系をもつ共役リノール酸などの特殊な脂肪酸に限られます。Table. 1-11の不飽和脂肪酸のIUPAC名ではバクセン酸以外のEZ表記を省略していますが、他はすべてシス型です。

ところで近年トランス脂肪酸を大量に摂取すると健康に悪影響を及ぼすという事実が疫学調査により明らかになりつつあります。天然のトランス脂肪酸はバクセン酸と共役リノール酸(生体内での挙動はシス型と同じ)に限られますが、人工的に手を加えられた油脂であるマーガリンやショートニングはトランス脂肪酸を数%含むため欧米では規制されつつあります。

ちなみに私としては神経質になりすぎるのもどうかと思います。トランス脂肪酸は自然界にごく普通に存在し、体に良いとされているチーズにも含まれています。トランス脂肪酸の影響が出るほどにマーガリンを食べた場合はむしろ主成分である飽和脂肪酸の過剰摂取が先に問題となるのではないでしょうか。

マーガリンやショートニングは触媒を使って不飽和脂肪酸に水素を添加することで作られています。植物油の主成分は不飽和脂肪酸で、不飽和脂肪酸は同じ炭素数の飽和脂肪酸に比べて融点が低く多くは常温で液体です。しかし水素を添加して飽和脂肪酸に変換すると固体になり、それがマーガリンやショートニングです。

飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸で融点が大きく異なる理由は分子のスタッキング(積み重ね)が関係しています。Fig. 1-93はシス型二重結合の結合角を無理矢理広げて表記しているので紙の上では直線状ですが、sp2炭素の結合角が120°であることを思い出してみてください。飽和脂肪酸は直線状なので隙間無く積み重ねることができますが、シス型の不飽和脂肪酸は二重結合の部分で屈曲しているため積み重ねるとどうしても不安定になるため融点が低いのです。

しかしトランス脂肪酸であるバクセン酸は融点が44℃と高く、これはシス型と違って直線状であることから飽和脂肪酸と同じように隙間無く積み重ねられるからです。

不飽和脂肪酸は二重結合位置からω-3系列、ω-6系列、ω-9系列に分類されます。ω-3というのはメチル基から数えて3番目の位置に二重結合があることを意味します。

Table. 1-12 不飽和脂肪酸の二重結合位置による分類(太字は必須脂肪酸、細字は準必須脂肪酸、灰色は非必須脂肪酸)

ヒトはω-3系列とω-6系列をデノボ合成(低分子物質からの生合成)できませんので食物から摂取する必要があります。特にリノール酸とα-リノレン酸は生合成経路がないため必須脂肪酸に分類されています。アラキドン酸やドコサヘキサエン酸はそれぞれリノール酸、α-リノレン酸から合成することも可能ですがそれだけで必要量を満たすことができないので準必須脂肪酸とされています。

脂肪酸ごとに多く含む食品をTable. 1-11に載せてますので意識的に摂取あるいは控えたいという方は参考にしてください。ただしω-3系列とω-6系列は摂取量よりも両者のバランスが重要である点を念頭に置いてください。

さて、Table. 1-11をもう一度よく見てください。勘の鋭い方はお気づきかもしれませんが、大半の脂肪酸は炭素数が偶数です。なぜなら一般に脂肪酸合成は炭素数が2個のアセチルCoAを出発原料として炭素数3のマロニルACPを作り、それを脱炭酸させながら炭素数2個の単位で伸長させているからです。

奇数脂肪酸は偶数脂肪酸が特殊な代謝を受けることで生成し、他には偶数脂肪酸の脱炭酸や石油に由来する奇数アルカンを代謝する過程でもできます。

アシルグリセロール

食品や生体内の脂肪酸は一般にグリセリンとのエステル(グリセリド)の形で存在します。脂肪酸とグリセリンのエステルをアシルグリセロールといい、サラダ油や体脂肪の主成分はグリセリンの各々のヒドロキシ基に3つの脂肪酸がエステル結合したトリアシルグリセロールです。アシルグリセロールは別名を中性脂肪ともいいます。

代表的なトリアシルグリセロールとしてはグリセリン1分子に3分子のパルミチン酸がエステル結合したトリパルミトイルグリセロールが挙げられます。体脂肪の主成分がパルミチン酸であると前述しましたが、多くはこの形で存在しています。


Fig. 1-94 体脂肪の主成分、トリパルミトイルグリセロール(クリックで拡大)

しかしエネルギーとして使われるときはリパーゼによる加水分解を受けて遊離脂肪酸(FFA)を放出し、グリセリンは糖の代謝経路に入ります。代謝については第二章で詳しく述べます。

植物油脂も主成分はトリアシルグリセロールですが不飽和脂肪酸を多く含む点が異なります。

蝋(ろう)は狭義には長鎖脂肪酸と長鎖アルコールのエステルでワックスとも呼ばれます。ろうそくを見て分かる通り常温では固体です。

天然の蝋の代表例である蜜蝋はミツバチの巣に多く含まれていて古くから絵具やろうそくに使われてきました。主成分はパルミチン酸とミリシルアルコール(テトラデカノール)のエステルであるパルミチン酸ミリシルです。

しかし現代のろうそくの多くは狭義の蝋ではなく安価で性状のよく似た石油パラフィン(長鎖のアルカン)で作られていて、狭義の蝋でできたろうそくはお寺や神社で使われているものに限られると考えていいでしょう。

ややこしいことに天然の蝋でもハゼノキの果実から採れる櫨蝋は狭義の蝋ではありません。成分はトリパルミトイルグリセロールで、いわゆる中性脂肪なのです。

リン脂質

リン脂質は構造の一部にリン酸基をもつ脂質で、生体構成成分やシグナル物質として非常に重要な役割を担っています。アルコール部分の違いからグリセロリン脂質とスフィンゴリン脂質に大別されます。

前者はトリアシルグリセロールのアシル基の1つがリン酸基に置き換わったもので、細胞膜の重要な構成成分です。後者はスフィンゴシンに脂肪酸とリン酸基が結合したもので神経細胞に多く含まれています。スフィンゴシンに脂肪酸がアミド結合したものはセラミドと呼ばれ、スフィンゴシンのアミノ基に脂肪酸がアミド結合していることからアミドの一種です。(Fig. 1-95)


Fig. 1-95 スフィンゴ脂質の基本骨格(R'がリン酸基の場合はスフィンゴリン脂質、糖の場合はスフィンゴ糖脂質)(クリックで拡大)

糖脂質

糖脂質はリン脂質のリン酸基をガラクトース等の糖に置き換えたもので、グリセロ糖脂質とスフィンゴ糖脂質があります。

主な役割は細胞の表面に来たシグナル物質を認識して情報を細胞内に伝えることです。そのため細胞膜のリン脂質に混ざった状態で存在します。

細胞表面の詳しい構造は第二章で述べます。

エイコサノイド

エイコサノイドはアラキドン酸から誘導される生理活性物質の総称で、アラキドン酸のIUPAC名がエイコサン酸であることからこの名があります。最近ではエイコサン酸の名称がイコサン酸に変更されたことからイコサノイドとも呼ばれます。

エイコサノイドの代表的なものにはプロスタグランジン、ロイコトリエン、トロンボキサンがあります。それらも構造の違いからいくつかの種類があります。

プロスタグランジンとトロンボキサンは細胞膜のリン脂質をホスホリパーゼA2で分解し、遊離したアラキドン酸をシクロオキシゲナーゼ(COX)で酸化することで生合成されます。この経路をシクロオキシゲナーゼ経路といいます。

一方、ロイコトリエンもアラキドン酸から作られますが酸化反応を触媒する酵素がリポキシゲナーゼ(LyX)である点が異なります。

プロスタグランジンには様々な種類があり、その役割も多岐にわたります。プロスタグランジンの一種であるPGE1やPGE2炎症や痛みの原因物質である一方、胃酸分泌を抑制して胃を保護する働きもあります。

現在最もよく使われている鎮痛剤であるアセチルサリチル酸(アスピリン)はシクロオキシゲナーゼを阻害しプロスタグランジンの合成を抑制することで効果を発揮します。しかし前述したようにプロスタグランジンには胃を保護する役割もあるため過剰に投与すると胃潰瘍の原因になる恐れがあります。

ロイコトリエンやトロンボキサンは炎症の原因物質で特に気管支喘息の発病に関係していることがわかっています。そのためリポキシゲナーゼやロイコトリエン受容体を阻害するロイコトリエン拮抗薬が気管支喘息の治療に使われています。

読者から見るとエイコサノイドの多くは炎症を起こすことから悪い奴だと思われるかもしれません。しかし人体は決して無駄なことをしているわけではなく、生体が何らかのダメージを受けた時の防御行動として炎症を起こしているのです。

痛みや腫れには原因が付きものです。消炎剤や鎮痛剤で見かけ上は治せますが根本的な治療ではないので注意が必要です。場合によっては病気の進行に気づかずに悪化して手遅れとなることもあり、特にアスピリンを長期連用しても頭痛が改善されない場合は医師の診察を受けることが推奨されます。

ステロイド

医薬品つながりでステロイドと言えばステロイド系抗炎症剤を思い浮かべるでしょう。有機化学や生化学でいうステロイドはコレステロールをはじめとしたステロイド骨格をもつ化合物の総称で、ステロイド系抗炎症剤もステロイドに分類されます。

代表的なステロイドはコレステロールです。肥満や高血圧と深い関係があることから名前ぐらいは誰でも知っているのではないかと思います。


Fig. 1-96 コレステロール(クリックで拡大)

構造式を見てわかるようにアルコール性ヒドロキシ基を持ち、それがコレステロ「オール」と呼ばれる由縁です。この部分に脂肪酸がエステル結合するとコレステロールエステルになります。また、ステロイド骨格とはコレステロールに見られるような環が4つ連なった構造をいいます。これはステロイドに特徴的に見られる構造です。

中性脂肪に負けず劣らず悪いイメージが強いコレステロールも細胞膜を強くするという大変重要な役割を担っています。胆汁酸やステロイドホルモンの前駆物質としても重要です。

ステロイドホルモンはホルモンのうちステロイド骨格をもつ物質の総称で、代表的なものには糖質コルチコイドや鉱質コルチコイドがあります。恋愛や繁殖と深い関係のあるアンドロゲン、エストロゲン、黄体ホルモンもステロイドホルモンの一種です。詳しくは第二章のシグナル伝達で述べます。

テルペノイド

テルペノイドは炭素数5のイソプレンユニットが複数組み合わさった構造の化合物で、代表的なものにはミルセンやメントールがあります。心地良い芳香を呈するものが少なくなく、それらは香料として使われています。


Fig. 1-97 モノテルペンの一種、L-メントール

炭素数は若干増減するものの常に5の倍数で、テルペノイドの炭素数を5で割った数が構成するイソプレンユニットの数になります。

イソプレンユニット数からヘミテルペン、モノテルペン、セスキテルペン、ジテルペン、セスタテルペン、トリテルペン、テトラテルペンに分類されます。(Table. 1-13)

Table. 1-13 テルペノイドの分類(炭素数は標準から若干前後する場合がある)

ミルセンやゲラニオールはアロマテラピーに詳しい人ならおなじみでしょう。樟脳はカンフルともいい、防虫剤や傷薬として使われています。植物ホルモンのアブシジン酸はセスキテルペンの一種です。スクアレンは化学者ならいつの間にか溶媒にコンタミしている物質としておなじみのはずです。

トリテルペンのラノステロールはテルペノイドであると同時にステロイドでもあり、いわばテルペノイドとステロイドの中間的な物質であると言えます。実際にステロイドはスクアレンを環化させてラノステロールに変換し、そこに様々な修飾を加えることで作られています。

テルペノイドとステロイド、カロテノイドは途中まで共通の生合成経路(メバロン酸経路またはMEP/DOXP経路)で作られます。これらをひっくるめてイソプレノイドといい、単一または複数のイソプレンユニットから構成されているのが特徴です。

1-24. アミン

(2010/05/25)