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kyoto: NPO団体 京都ハートネットワーク スーパーバイザー  臨床発達心理士 ・ 上級教育カウンセラー                                                               京都市内で発達障害当事者グループワーク・SST  発達障害家族グループワークで支援をやっています。                                                                                                                         悪意のあるコメントは即刻に削除します。



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カウンセリングから見た言葉~言葉を育てる方法

author:kyoto2008/03/22 Saturday

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言葉の発達について考えを聞かせて欲しいという要望がありました。それに応えたいと思います。

さて、言葉の発達については、たくさんの学者が本を書いています。

ですから、ここではできるだけ、私の経験の中で思っているところでの言葉についてを記事にしたいと考えます。

具体的な話から入ります。

私のカウンセリングの面接では、「聞かせてください。」と言わないのです。

どうしてかというと、言葉というものは、口でしゃべるものだけでないからです。他にもいろいろな方法で語っているところがあるわけです。

例えば、視線・表情・座る姿勢・体の動作・体の硬さ・手の動き・息の速さ・服装・持ち物・髪型など、人間は様々なことで自分を主張し相手に語りかけています。

もっと大きな動きでは、病気になったり、とんでもない問題を起こしたり、行動言語と言われるものを使うこともあります。

それらの方法によって、自分はどんな人間なのか、どんな気持ちでいるのか、ということを他者に伝えているのですね。

ですから、私のカウンセリングは、言葉以外のものも大事にします。

どうしてそのようにするのかともっと詳しく言うと、カウンセリング関係は言葉のやり取りでなく、心のやり取りだからなのです。

言葉は、極端なことをいえば、単なる音声による記号です。記号そのもの自体には意味がありません。

カウンセリングでは、記号に込められたその人の気持ちを受け取り、そこで気持ちのやり取りをするわけです。

気持ちとは、感情のことなのですね。感情があってこれが動いてこそ、それが言葉になるわけです。

ですから、言葉そのものよりも、その人に起きている気持ち・感情を大事にして面接をするのです。

そのようなことで、表情や姿勢・動作など、言葉以外のものも大事になってくるわけです。

アスペルガーなどの広汎性発達障害といわれる人は、一般的に言葉も言葉以外の伝達の方法も苦手であると考えます。

起きてきている物事の全体を統合していく力(整理する力)が弱いと思われます。

ですから、何か事態があっても、それをうまく言葉で伝えられません。また、言葉以外でも、表現するのが難しいのですね。

それで、混乱してパニックになるのだろうと考えます。要するに、自分に起きているところを、うまく相手に伝えるのが難しいわけです。

私が何を言いたいのかというと、言葉にこだわらず、いろいろな方法でのコミュニケーションを大事にしたいと思っているのです。

特に子どもの場合は、言葉を使うことよりも、言葉の入り口として、絵カードや写真で意思を示させたりした方がよいと思っています。

また、私が大事にしているところでは、二者択一という方法があります。

二つのところから一つを選ばせるのです。これは、意思決定能力を育てるのに役立ちます。

「選ぶ」という行いは、二つのものから違いを見つけ出す操作や行動を伴います。物の違いを意識させるわけです。

大きいケーキと小さいケーキ、赤の服と青の服、ジュースとお茶など、日常でやれる場面はいっぱいあります。

道を右に曲がるか左に曲がるか、そんなことも大事だと思っています。

子どもの場合は自分を主張する方法として、このあたりの行動から始めた方がよいと考えます。

やがて、この行動が言葉に替わってくるものと考えます。

私は、このプロセスを言葉の成長・発達であると思っています。じっくりと待ってやらなければなりません。

大人でも自分の思っていることをうまく言葉で表現するのは、とても難しいことです。

まして子どもなら、よけいにそうですね。

私は、言葉を使って適当にうまくしゃべることよりも、自分が本当に思っているところのことを、相手に伝えることの方が大事であるという認識をもっています。

私の、カウンセリングから見た言葉への思いを記事にしました。

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人類にとっての発達障害の意味

author:kyoto2008/02/13 Wednesday

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人類はおよそ15万年前に誕生したといわれています。

その歴史の中で、人類は病気や天災など、いろいろな事で存在を脅かされてきました。

さまざまに起こる現象に対して、その中でも人類は生き残っていくために、いろいろなタイプの遺伝子を作って対応してきたわけです。

遺伝子レベルでの、人類の命の知恵ですね。

そして、このいろいろなタイプの遺伝子の一つが、現代で言うところの自閉症スペクトラムであるわけです。

歴史の中の一つの通過点としての現代社会では、自閉症スペクトラムが障害のようになっています。

でも、過去の歴史の中でもあったと思われるのですが、人類の危機が迫った時に、自閉症スペクトラムといわれる者が未来の救世主になる可能性が高いと思われるのです。

そのように考えると、自閉症スペクトラムを単に障害だと位置づけるだけの発想ではいけないと思われます。

私は以前、『3年寝たろう』という記事を書いたのです。

まさにその通りで、自閉症スペクトラムは遺伝子レベルの中で人類を救う救世主になることに違いありません。

現代という狭い価値観の中で考えるのだけではなく、人類の歴史の観点から自閉症スペクトラムを捉えていくような発想が大事なように思っています。

このことは、自閉症スペクトラムのことだけでなく、障害と言われているさまざまなものが同じ意味をもっていると思われます。

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発達障害者の人権

author:kyoto2008/02/11 Monday

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先日、私は強度行動障害の研修会に参加してきました。

そこで私の心に残ったのは、発達障害の子どもの人権を大切にしているかという講師からの問いかけです。

たとえ障害があっても,人間としての尊厳を大事にしなければいけないと痛切に思ったのです。

そこで今回は、障害者の人権のことを記事にしたいと思います。

今でも、障害者に対する人権は守られていないところがあると思っています。

電車やバスに乗っても偏見の目でみられたり、就職などの現実を考えても社会から一人前として扱ってもらえなかったりするところがあります。

それでも昔と比べたら、障害者への理解はある意味、進んでいっているように思うのです。(これでよいとは思っていません。)

昔の障害者観は、健全な人間をモデルにして、そこへ追いつかせるような指導法が一般的でした。

身体障害であれ広汎性発達障害であれ、障害者が健全な人に追いつけるはずがありません。

ですから、障害のある者はいつも劣等感を感じなければなりませんでした。

また、障害者の立場を考えていない指導法なので、障害者の自立にはほど遠い内容でありました。

指導する前から、「どうせこんな奴に教えたって、できるようになるはずがない。」のようなところがあったように思います。

非人間的な、ひどい指導をしていたものです。

いまは、こんな指導はほとんどなくなっていると思います。

ところが現代も、それと似たようなところが残っています。ただ、見えにくいだけです。

それは二次障害のことです。

本来の障害でない二次障害は、生育的な環境要因によって引き起こされてきます。差別や偏見によって起こります。

つまり、二次障害が起きるということは、その障害者の人権がきちんと守られていない証明でないかと思うのです。

自閉症スペクトラムの障害者の困りどころも、二次障害の部分がほとんどです。

障害者の人権。もっとしっかりと考えていきたいと思っています。

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挨拶がうまくできないのが発達障害の特徴かも知れない

author:kyoto2008/02/06 Wednesday

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私は、人との挨拶が苦手です。

何かしてもらっても、お礼の言葉がなかなかうまく言えません。

失敗して謝らなければならないような時も、うまく謝ることができません。

こんな様子では、なかなか人とうまく付き合っていけないので、無理やり自分に発破をかけて「おはよう」「こんにちは」、「ありがとう」「ごめんなさい」というようにしています。

挨拶をする時には、体をまっすぐ伸ばして両の手を腰に当てて、頭を思い切り下げてお辞儀するようなオーバーな表現を心がけています。

そんな風にしなければ、私はなかなかまともな挨拶ができないのです。また、同じ挨拶するならオーバーにしたいと思うのです。

私の場合は、やけくそみたいなものです。

発達に問題のある子ども達や若者も、何故か挨拶がへたくそです。

人と関わるのが怖いというか、できることなら人と関わりたくないので、自然にそのようになると思うのですが、人付き合いの点では損をするでしょう。相手にとっては印象が悪いですからね。

ですから私は、人と会った時に挨拶をするように子ども達に教えています。私の方から挨拶をすることで、教えているのです。

人とどんな付き合い方をすればよいのかが分らないのが、発達障害の特徴です。

せめて挨拶ぐらいできるようになって欲しいと願っています。

私は、挨拶ができるようになっていたことで、かなり人間関係が変わってきた経験をもっています。

苦手だからと諦めてしまわないで、子どもにはしっかりと挨拶ができるようにしてやってください。

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いたずらにゃんた|EMAIL|URL|2010/01/20 11:22 PM|zM0xEXII|

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かんかん|EMAIL|URL|2008/02/09 07:03 AM|wXfEdBtQ|

kyoto|EMAIL|URL|2008/02/07 10:23 PM|tinLQHnE|

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発達障害の子どもも、普通の子どもと同じようにしてやって欲しい

author:kyoto2008/01/19 Saturday

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いつもアスペルガーの子どもには、特別な配慮が必要だと私は言っています。でも、今回はまったく逆のことを書きます。普通の子どもと同じようにしてやって欲しいという記事です。

矛盾しているようですが、私の中では矛盾していると思っていません。私は普通の子どもと同じようにすることも大事だと思っているのです。それは、発達障害があっても全てが発達障害なのではなく、他の子どもと全く同じところもあると思うからです。

さて、話です。

私はまだ言葉が喋れない子どもの保護者に、「この子が、もし喋ったら、どんなことを言うでしょうか。考えてみてください。」と問うことがあります。

保護者が子どものことを考えて生活されていることはよく分っていますが、親の思い込みだけで、それをやっていないかと感じることがあるのです。

子どもの将来のためだからと言って、病院やセラピーばかり通っている。人ごみが嫌いだからといって、ほとんど、どこにも連れて行ったことがない。そのようなことがあるからです。(病院やセラピーへ行くのが駄目だと思っていません。)

その子どもが、もし喋ったら、「東京ディズニーランドへ行きたい。」と言うかも知れません。だって、普通の子どもだったらほとんどがディズニーランドへ連れて行ってもらっています。まだ、行ったことのない子でも、いずれ連れて行くような約束をしているはずです。

また、ひょっとしたら、「スイミングへ行きたい。」「ピアノを習いたい。」と塾や習い事をしたいと言うかも知れません。

服装や持ち物でも同じことが言えます。何も言わないかも知れませんが、子どもにだって、流行があるわけです。他の子どもと同じようにしたいと思うのが人間です。

欲しいと言わないから買わないのでしょうが、WILLやPS2で遊びたいかも知れません。普通の子なら、友達が持っているのを見ると、必ず欲しがります。

行きたくないからとか、欲しくないからとか、そんな理由で子どもが言わないのではなく、知らないから言わないわけです。ですから、親には子どもが知る機会を与えてやって欲しいと思うのです。

言っておきますが、何でも与えるのがよいということを言いたいのではありません。子どもを普通の子どもと同じような条件にして、大事に育ててやって欲しいと思うのです。ですから、できないことは、普通の子どもと一緒で、できないと言ったらよいのです。

うちの息子は、ディズニーランドへ行きたいと言いませんでした。その代わり、私がシンセサイザーギターでサザンの「いとしのエリー」を弾いていたら、それを聴いて自分も「いとしのエリー」を弾きたいと言い出して、小学6年生からピアノを習い始めました。4年間通いましたが、ピアノの先生からは、ずいぶん可愛がってもらいました。当時は学校の教室に入れなかったのですが、ピアノの先生に救われました。そして、ピアノで、「いとしのエリー」が弾けるようになりました。

息子は、スキーも小学校2年生から毎年、信州のスキー学校へ入ってまして、今では上級者です。運動神経はドン臭いのです。テニスもサッカーも何もできないのですが、スキーだけは他の人に負けない腕があります。

私は、息子にいろいろな事が経験できるように小さい時から配慮してきました。いろいろな情報や機会を与えるようにしてきたのです。ただし、やるかやらないかを選ぶのは本人です。無理にやらせるようなことはしませんでした。

私にすれば、他の子どもと同じような経験をたくさんして欲しいと思っていただけなのです。大人になった時に、私のような世間知らずな人間にならないように、みんなから引け目を感じないようにしてやりたかっただけです。息子にお金もたくさん使っていますが、それは私が浴びるほど飲んでいたお酒をやめたからできたことなのです。そのため私は苦しい思いをしなければなりませんでしたが、私よりも息子の未来や将来の方を大事にしたのです。私と違って息子には、ちゃんとした親がいるようにしたかったのです。

その息子は、もう大学生になりました。もう立派な大人です。この2月から大学の語学研修で40日間オーストラリアへ行きます。中学校の時は、人間関係がうまくゆかず2年間もブランクができてしまったのですが、その息子がなんと、こんなこともできるようになりました。

子どもを大事に育てることは、普通のことではありませんか。発達障害があって自分で言えないからと言って、親だけの発想で将来を考えているだけでは子どもの可能性が狭まります。子ども自身が自分で考えて行動できるようにならないと、子どもは伸びません。それこそ、あらゆる環境を整えることが大事だと思うのです。

子どもは子どもらしく、伸び伸びと成長していくようにしたいですね。そのためには子どもの立場に沿った支援が必要だと思っています。将来のことを考えて、他の子どもが生きているのと同じ時代・同じ文化に触れさせてやって欲しいと思っています。

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kyoto|EMAIL|URL|2009/01/08 08:47 PM|tinLQHnE|

ミセスJ|EMAIL|URL|2009/01/08 08:27 PM|dBUl27a2|

kyoto|EMAIL|URL|2008/01/19 04:14 PM|tinLQHnE|

潮|EMAIL|URL|2008/01/19 03:04 PM|zu9D2WXg|

発達障害の小中学生でチームを作って駅伝に参加

author:kyoto2008/01/17 Thursday

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先日、発達障害のある小中学校の子ども達でチームを作って地域の駅伝大会に出場しました。

目標は全員での完走でしたが、見事それを成し遂げました。

子ども達は、一般参加の社会人や大学生チームに混ざって、よくがんばって走ったと思います。

小学生などは、あまりの苦しさに泣きながらもがんばって走りました。そんな様子を見ていると、こちらの胸が熱くなりました。

じつは、この駅伝大会に出場するために、子ども達は夏から練習をやってきているのです。

走るのが苦手な子が多いのですが、練習の時に中学生が小学生の横について併走して応援してくれたのです。それで、どの子も走れるようになりました。

これまで毎年、チームを作って参加しているのです。今年で4回目の出場でした。今年もがんばりました。

小学校の時に駅伝大会に出場した子で、駅伝に参加して走るのが好きになった子がいて、中学校で陸上部へ入りました。

週に3回、放課後の練習で走っているそうです。

この子は、もともと肥満児で運動なんか大嫌いというタイプでしたが、チームで駅伝に出る楽しさやおもしろさが分ったのでしょうね。

今は陸上部で走っていますので、きりっと引き締まった体型になっています。かっこいい青年になりました。私は、なんとも嬉しい気分です。

この駅伝出場のアイデアは、私が韓国映画の『マラソン』を観て感動しました。それで、これをヒントにしたのです。

思い返すと、初めて駅伝大会に参加した時は、本当に走れるのだろうかと心配ばかりしました。でも、これは徒労でした。

子ども達は、私が思っているより以上の力がありました。それから、毎年参加するようになったわけです。

練習は大変ですが、それ故に得られるものも大きいのです。

発達障害の子どもの現実の将来と前途は、なかなか多難です。

しかし、駅伝出場で培った自分のがんばりやみんなの支えを大切にして、未来でもがんばって欲しいと願ってやみません。

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遺伝説と環境因説~アスペルガーなどの発達障害

author:kyoto2008/01/12 Saturday

自閉症が育て方(環境)が原因で起こってくると、大真面目に考えられていた時期があります。親の療育態度の問題だとされていたのです。

でも、今は誰もそんな考え方を信じません。その頃は環境因説が強かったのです。

現代は、アスペルガーなどの発達障害が、どうやら遺伝的なものが関係していると思われるようになりました。遺伝説も出てきたわけです。

環境因説にしても遺伝説にしても、どちらかに限定してしまって考えるのは間違っていると思っています。

つまり、遺伝と環境の双方が、お互いに関連しあいながら発達に影響を与えている、と考えた方がよいと思っているのです。

遺伝そのものが直接にその人に影響を与えているのではなく、遺伝的な要因が環境の中から特定なものだけを選んで取り入れていく仕組みになっているのだと考えます。つまり、その人にとって、遺伝的なものと環境的なものの両方が作用していると思うのです。

ですから、発達障害の遺伝的なものがあっても、環境の方に問題がなければ、普通の生活を送ることができると考えます。

そのようなところから、環境調整をすることの発達支援が大事なことになると思うのです。

アスペルガーの人間関係がうまくゆかないのは遺伝だから仕方がない、と固定的な考え方をすると危険だと思います。

遺伝的な要因も、環境の影響を受けているわけです。ですから、環境を整えることで遺伝的なところをカバーしていけるところがあると考えるのです。

私は以前に、「アスペルガーは成長する」という記事を書いたのです。

つまり、対人関係的なところでも、環境を変えたり、スキルを獲得したりすることで、その人が発達・成長し、問題が改善されるということです。

問題が減っていくことで、アスペルガーが本来もっている建設的な能力を発揮できるのではないかと書きました。

極論ですが、遺伝説にしても環境因説にしても、それをどう受け取ってどのように調整していくか、それが自分に任されています。

発達の問題を、受身的に運命論にして片付けてしまったら、もう終わりです。

子どもの場合でしたら、親のその態度で物事が決まってくると思います。

意志をもって環境に働きかけ、自分の運命を切り開いていく、そのような態度が大事なのだと思っています。

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子どもには、評価でなく無条件の愛で

author:kyoto2007/12/17 Monday

子どもに障害があってもなくても、どんどん伸びて欲しいと願うのは、親として当然です。

障害があれば、願わくは、普通の子と同じようになって欲しいと思うのは親心です。

私だって、親として、その思いは同じです。

しかし、その願いが強すぎると、子どもにとって負担になってくることがあります。

知らず知らずに、「できるあなたは良い。しかし、できないあなたは駄目だ。」みたいなことになってしまうことがあるからです。

このように、「できる・できない」の評価で親から見られている子どもは、とてもつらいです。

暗い顔をしている子どもを知っています。「できない」自分では愛されないのですから、悲しいのです。私もつらいです。

親の本当の思いとは反対に、期待によって子どもを苦しめる結果になっているのですね。

先日からブランコのおうちのFLさんのブログに何度かお邪魔をしました。

療育のことを記事にされていて、その内容が私にとって、とても興味があるものでした。

やはり、子どもには「できる・できない」などの評価的な見方でなく、親の無条件の愛が大事だと、記事から思いました。

親は、子どもが上手にできたら単純に喜んでやる。もし、できなかったとしても、がんばったことをほめてやる。

私は、そのようにありたいと思いました。

本来、評価は子どもそのものにするものでないと思います。

私は、発達支援や療育に何よりも大事なのが、親の無条件の愛だと思っています。

その親の愛をエネルギーにして、子どもはがんばっていくと思うのです。

このことは、子どもの前に立つ支援者として、ずうっと思ってきていることなのです。


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FL|EMAIL|URL|2007/12/18 02:28 PM|MgOsdK7Q|

言語発達~私は環境に負けたくない

author:kyoto2007/12/12 Wednesday

私の育った家には、本というものが1冊も無く、家族の誰もが本というものをまったく読みませんでした。

そのような環境であったので、私に本を読む習慣がないのは当たり前です。

言葉が十分に育たないのも当たり前です。

思い返してみれば、もともと発達問題があって言語について弱い私に、家庭環境も整っていないということになると、伸びるはずがありません。

高校生になってから読書をするようになりました。本を読んでかしこくなりたかったのです。

本を読むようになって、知識はずいぶんと増えたと思うのですが、語彙が増えないというのか、言葉自体の成長はなかなか進みません。

読む方は、けっこう難しい本でも読めるようになったのです。でも、書く方はほとんど進歩しませんでした。

それで、私は文章言語を使うことをあきらめて、会話的な文章なら書けると思いました。

私のもっているものを活かして使っていこうと思ったのです。私は私流でよいのだ、と思うようになったのです。

少なくとも、自分の素質は仕方がないにしても、環境に起因することについては、工夫や努力をすることで乗り越えていける部分があると思うのです。

私は恥ずかしいと思わないで、私なりの文章表現でがんばっていきたいと思っています。


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親が先生を育てよう

author:kyoto2007/12/03 Monday

発達問題に関わる者には、必要とされる能力があります。

それは、短所ばかり目立つ相手に、ちゃんと長所が見つけられる能力です。

また、これは、発達障害児の保護者にもあって欲しいと、私の願う能力です。

人の欠点というのは、特別に意識しないでも、すごく目立って見えるものです。「あれができない。これもできない。」みたいな否定的な部分のことです。

悪いところというのは意識しなくても、自然にいっぱい見えてくるのです。しかし、相手のよいところは、こちらが余程意識していないと見えてきません。

この夏、私が岡山へ行った時のことです。

心身ともにくたくたになった支援学校の先生と会いました。この先生にも問題があると思いますが、保護者に責められて自信を失くして、疲れきっている様子でした。

保護者にすれば、先生が子どもをしっかりとみて、しっかりと子どもに合った指導して欲しいという気持ちをもたれるのは当然だと思います。

しかし、先生が疲れ果て、くたくたになるほど責めてしまうのは、どうしたものかと思いました。

担任の先生は、1年間替わりません。先生がこれほど疲れているようでは、子どもの教育をまともにやることができないと思うのです。

子どもにとって、1年間が無駄というか、もったいないことになりかねません。

保護者の本当の気持ちは、先生のあら探しの方にあるのでなく、自分の子どもをしっかりみて欲しいと思う気持ちだけだと思うのです。

でも、先生が頼りなかったり、親の思うように動いてくれなかったりすると、イライラしてくるのでしょうね。

私も自分の息子のことでは、先生に失望するようなことを経験しています。しかし、みんなが悪い先生ばかりではありません。ちゃんとした先生もおられます。

私は、親が子どもを大事にしたいのならば、先生の方も大事にして欲しいと思うのです。

先生もいろいろあって、ほとんど何も分かっていないような人もいるでしょう。でも、親が先生を育てるつもりで、接して欲しいと思うのです。

やって欲しいことがあれば、攻撃するのではなく、「ああして欲しい。こうして欲しい。」と、お願いをするのがよいと思います。

攻撃をすると、心理的に萎縮してしまって、先生は能力を発揮できない状態になってしまいます。やる気のある先生だったら、大変です。

ですから、子どもの長所を見つけて、それを伸ばしていくように、先生のよいところを見つけて、先生の長所を伸ばすようにしてやってください。

親が先生を育てる、という発想は、かなり大事なことであると思っています。

親が先生を大事にすると、きっと先生も、子どもや親を大事にします。期待に応えようとするはずです。

先ほどのくたくたになっていた先生のことですが、私は、「自分が子どもの指導をしっかりとやりたいと思っている気持ちを親に伝えなさい」、とアドバイスしておきました。能力は別として、やる気のある先生だったのです。このまま終わらせたら、もったいないと思いました。

私は、何よりも子どもが一番に得をするようにもっていくことが大事だと思います。別に先生の肩を持つ気はありません。でも、いざこざよりも、そちらを大切にして欲しいですね。

親が立派な先生を育てた。そんなことって、かっこいいじゃありませんか。


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