NPO京都ハートネット

kyoto: NPO団体 京都ハートネットワーク スーパーバイザー  臨床発達心理士 ・ 上級教育カウンセラー                                                               京都市内で発達障害当事者グループワーク・SST  発達障害家族グループワークで支援をやっています。                                                                                                                         悪意のあるコメントは即刻に削除します。



>にほんブログ村 メンタルヘルスブログ カウンセラーブログランキング にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アスペルガー症候群へ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ にほんブログ村 子育てブログ 自閉症児育児へ

アスペルガーを心の問題にして片付けてはいけない

author:kyoto2007/11/29 Thursday

アスペルガーのために、就職などがうまくゆかなくて、若い方が私のところへ相談に来られます。

その方たちの多くが、「親に理解してもらえない」ということを話されます。

親から、「ただ、サボっているだけだ。」とか、「お前は病気のせいにして言い訳をしている。」などと言われているわけです。苦しんでいる状況を理解してもらえないのですね。

それは、親が知識をもっていないからです。

社会で発達障害と言われて認知され出したのが、つい最近の5年ほど前のことであり、幼稚園・小学校・中学校・高校で発達障害が問題にされなかったことと、それにより、本人や親へ何の支援もなかったことが原因だったと考えます。

当事者の本人は、小学校時代からさまざまなことで困って悩んでいたはずなのです。でも、それを本人の努力不足や怠慢などの性格の仕業にして片付けられてきたのだと思われます。つらい思いばかりしてきたわけです。

そのため、多くのアスペルガーの当事者は、意識で自分の責任でないことが分かっていても、努力が足らなかったのだと自分を責めたり、能力が無いのだと自分をあきらめてしまったり、わけの分からない自己否定的な思いで苦しんでいます。

そのような方に会うと私は、「自分を責めるはやめましょう。」「あなたが悪いのではない。」と言います。

私は、その方にとってどんなことが得意で何が不得手なのか、ということを明らかにするような作業をします。そこでは発達検査をやることもあります。

そして、苦手なことでなく、得意なことや好きなことに着目し、そこから自分を生かしていくことを考えるようにします。

対人関係障害には、一般的なカウンセリングの方法ではなく、対人関係のスキル獲得を含めた特別な支援が大事だと思うのです。

また、対人関係などで悩むその人を正確に理解する援助者が必要で、その人の本当の味方がいることが何より大事だと思っています。

苦しい状態を親にも誰にも理解してもらえないわけです。そんな中でも理解者がいることは、その人にとってすごく勇気を与えるものだと考えています。

私は、よき理解者であり、強い味方でありたいと思っているのです。


ランキングに参加しています。クリックで応援をお願いします。ブログランキング・にほんブログ村へ



|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=718||対人関係障害|10:12 PM|comments (6)trackback (0)

コメント一覧

kyoto|EMAIL|URL|2010/01/21 12:26 AM|tinLQHnE|

kyoto|EMAIL|URL|2010/01/21 12:24 AM|tinLQHnE|

yamada|EMAIL|URL|2010/01/20 08:07 PM|kIygT.kI|

トコルナ|EMAIL|URL|2010/01/20 07:30 PM|YOxdBMKg|

kyoto|EMAIL|URL|2007/12/01 08:39 PM|tinLQHnE|

秋桜|EMAIL|URL|2007/12/01 07:58 PM|x5hMBwbY|

アスペルガーとADHDの違い

author:kyoto2007/11/11 Sunday

小学校の低学年の時には、ADHDと診断されていた子どもが、高学年になってアスペルガーと診断名が変わったということがよくあります。

よくきく話だと思います。

行動の様子からみると、どちらも多動で落ちきがなかったりするところから、見分けがつきにくいのですね。

ADHDは、注意や行動のコントロールの機能が弱いと捉えたらよいと思います。認知の問題がないので、ルールなんかはよく分かっているのですね。でも、分かっていても自己のコントロールが利かないので、駄目だと分かっていてもやってしまうようなところがあります。

アスペルガーは、認知の問題があるので、非言語的なルールがなかなか理解できないわけですね。それで、分からないからやってしまうようなところがあるのですね。

ですから、ADHDは、コントロール機能の問題で、アスペルガーは認知の問題ということになります。

行動上の外見がよく似ているので、普通に観察しているだけでは、なかなか見分けがつかないわけです。

そのようなことで子どもに支援をするところでは、ADHDとアスペルガーとはまったく違うものであるとの認識が大事になってきます。

どちらにしても、きちんとした支援を継続して続けていくことで、子どもが順調に成長し発達していくということですね。

ブログランキング・にほんブログ村へ ランキングに参加しています。クリックで応援をよろしく

|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=699||対人関係障害|08:06 PM|comments (2)trackback (0)

コメント一覧

kyoto|EMAIL|URL|2007/11/12 07:47 PM|tinLQHnE|

sugi|EMAIL|URL|2007/11/11 09:51 PM|fa4A93CA|

禁止令

author:kyoto2007/09/04 Tuesday

私には、交流分析でいうところのいろいろな禁止令がかかっています。そのために、私はずいぶん苦労をしてきました。

禁止令は、何かの理由で、子どもの時に自分でかけてしまった呪いのようなものです。

私の場合は、自分に禁止令をかけないと、つらくて生きていけない、ということだったと思っています。

大人になってから、その禁止令を解くのが至難の業でした。(今でも残っているものもあります。)

交流分析では、12の禁止令があると言われています。

①存在するな ②成長するな ③成功するな ④重要であるな
⑤自然に感情を感じるな ⑥ 健康であるな・正気であるな 
⑦仲間になるな ⑧実行するな ⑨子どもであるな 
⑩近づくな(愛するな、信用するな) ⑪おまえ(男、女)であるな 
⑫考えるな

私は、①存在するな ⑤自然に感情を感じるな ⑥ 健康であるな・正気であるな と、この3つの禁止令が私を支配していました。

① のところで、自分が生きていること自体に意味を持たせることができず、夢も希望もなかなか持てなかった私です。子どもの私に、「お前のような人間がいるから、世の中がよくならない」と小学校の担任から言われた言葉が、心の中から消えないのです。

⑤ のところ私は、何を言われても何も感じないようにして生きてきました。そのままを感じると、つらくて耐えられなかったのです。いじめられている自分を守る方法は、これしかありませんでした。

⑥ のことは、うまく説明ができないのですが、未来に自分が病気で死ぬことを考えていたということです。

ここからは、現在のところの私のことを書きます。

これらの禁止令からかなり開放されているといえ、私には、まだ染みついたように残っている部分があります。

自分の問題を自分の中で解決していくのには限界があるように思います。

ですから私は、カウンセリングなどで、クライエントの援助をしながら、同時に自分の禁止令を開放していくような作業をしています。

つまり、クライエントが開放されることが、自分自身の開放につながっていく感じがするのです。

ですから、私が関わったクライエントに笑顔が出てきた時、本当にうれしいです。

そんな時は、クライエントに心から感謝をしている私があります。私自身も同時に救われているからです。




|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=603||対人関係障害|09:02 PM|comments (4)trackback (0)

コメント一覧

kyoto|EMAIL|URL|2007/09/05 06:23 PM|tinLQHnE|

kyoto|EMAIL|URL|2007/09/05 06:15 PM|tinLQHnE|

i33|EMAIL|URL|2007/09/05 07:40 AM|J7NJBPRI|

あい|EMAIL|URL|2007/09/05 12:36 AM|nUl/ClSk|

カリスマ性

author:kyoto2007/08/14 Tuesday

そんなことを私自身は意識してやっている訳でもないのですが、どうやら私にカリスマ性があるように見えるらしいです。

人によっては、私の持っているカリスマ性に問題があると言われる方がいます。

訳の分からないカリスマ性があると、私が相手と依存関係になるということを危惧されているのだと思います。

でも私自身は、いわゆる霊能力者でもなく、太木数子のような占い師でもありません。

私は、訳の分からないことをやっているのではありません。私は、カウンセラーであり心理士であるわけです。

ですから、アセスメントから見えてくる相手の姿に対して、いろいろな理論や私の経験に基づいた心理手法を使って相手に接近していくことをやります。

決して、非科学的な超心理学的な手法を使っているわけではないのです。

カリスマ的に見られる原因のその一つは、私が指示的な発言をするからだと思っています。

私が指示的な発言をする時は、実存分析の手法を使っているわけです。

相手の方自身に解決の糸口が見えないような難しい問題の時に限って、実存分析の方法を使うわけです。

実存分析は、一見、私が指示的に問題解決の情報を与えているように見えます。だけど違うのです。

本当は相手の方の精神のところに、意味への意志を呼び起こすような、はたらきかけをしているのです。

だから、そこで出てくる相手の方の決断は、その方が内的世界へ目を向けられ、そこから、ご自身で決められたものである訳です。

私が相手の方に解決の方法を指示しているわけではないのです。私は決断の手伝いをしているわけなのです。

この辺りのプロセスは、周りの方からすれば分かりにくいところであるでしょう。

ですから、私がカリスマ的に見られるのは仕方がないようにも思いますが、誤解であると言っておきたいです。

どこからか、「カリスマみたいなことはやめろ」、という意見も聞こえます。

でも、私がカリスマをやっているわけでなく、まわりの者がそう見ているということだと思います。

私自身は、相手の方にとって必要なものを使って支援をしているだけなのです。ですから実際は、クライエントセンタードなのです。

相手の方が問題解決に向かって進んでいけるように支援しているだけで、私自身はカリスマでも何でもありません。


|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=582||対人関係障害|02:20 PM|comments (0)trackback (0)

依存症を断ち切る

author:kyoto2007/08/04 Saturday

私は以前、薬物もお酒も両方とも飲んでいましたが、ますます生活状態や精神状態などが悪くなるばかりで、ある時、思い切って全部やめてしまいました。

その時からだいぶ年月が経ちましたが、あの時に気が付いてよかったと思っています。その経験から、今の私が思っていることを記事にしたいと思います。


薬物であれ、お酒であれ、依存状態を断ち切るのは容易でありません。

もともと、薬物やお酒に手を出すのは、対人関係がうまくゆかず精神状態が不安定になっているため、そのようなものが必要になっているのだと思われます。

そのように対人関係から薬物やお酒が必要になる方が多いところから、私は依存症と発達障害とが深く関係していると思っています。

このことを深く掘り下げるのは、またの機会にしようと思います。それよりも、依存をどう断ち切るかを考えたいと思うのです。

依存には、精神的依存状態と身体的依存状態とがあります。精神的依存状態は、気持ちの上で薬物やお酒が必要な初期の頃の状態です。

ところが、この精神的依存を続けていると、だんだんと身体依存に変わっていきます。

血中の薬物やアルコール濃度が、ある水準以下になると、身体的に、また精神的にも、体がある一定の血中濃度を要求するようになるわけです。

要するに、禁断症状が出るわけです。この状態になると、もはや意志の力は役に立たなくなってきます。身体が要求しているわけですからね。

この頃になると、日常的に人に迷惑をかけたり、いろいろな問題を起こしているので、まわりの者は薬物やお酒を止めるようにはたらきかけます。

また本人も、これではいけないと思っているので、何とか依存を断ち切りたいと考えるようになります。

でも、身体依存状態なので、そう簡単には依存を断ち切ることができません。

無理やりやめてしまうと、様々な精神症状が出てきます。禁断症状です。幻聴、幻覚など、人によっていろいろです。

なかなか簡単なものでなく、ショック症状を起こして亡くなられる方もおられます。

また、苦しい思いをして何とか薬物やお酒を断ったとしても、同じパターンの生き方をしていると、必ず再び薬物やお酒が必要になってきます。

そのようなわけで、単純に薬物やお酒を止めたらよいというようなことではありません。


私が言いたいのは、対人関係がうまくゆかずに困った時でも、安易に薬物やお酒に手を出すのではなくて、対人関係の改善を考えるのが得策だということなのです。

要するに、薬物やお酒を必要としない生き方ができるようにしていく必要があります。

特に、発達障害の傾向をもっておられる方は、問題のもとであるご自身の特性を自己理解されることが大事だと思います。

私は、依存症になる多くの人が対人関係の問題をもっていると考えています。

ですから、依存症の克服には、その人の生き方を変えることが大事であると思っているのです。

これを実行するのは、なかなか難しい面もあるのですが、依存症に詳しい専門家の支援を受けることによって可能になってくると思っています。

ポイントは、素面の頭で考えることが大事であると思っています。1年間とか一定期間、薬物やお酒を一旦止めて考えましょう。

薬物やお酒で酔ったような状態で物事を考えても、まともな考えにはなかなか至らないでしょう。


さて、一時的な対人関係の問題なら、薬物やお酒で対応することもできるかも知れません。しかし、慢性的な対人関係の問題は、薬物やお酒で対応すると依存症につながっていきます。

もうすでに依存状態になっている方は、その原因が自分でなく、まわりの者の無理解や自分の境遇にあると思っておられる方もいると考えます。

でも、ひょっとしたら自分の生き方に問題があるのかも知れません。

そう考えることができる方は、依存症を克服していけると思います。


|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=574||対人関係障害|11:30 AM|comments (4)trackback (0)

コメント一覧

kyoto|EMAIL|URL|2007/08/05 04:22 PM|tinLQHnE|

kyoto|EMAIL|URL|2007/08/05 04:16 PM|tinLQHnE|

Kei|EMAIL|URL|2007/08/05 01:51 AM|zu5F3QbQ|

clover|EMAIL|URL|2007/08/05 12:34 AM|wH2NHEks|

子どもたちのワーク

author:kyoto2007/07/22 Sunday

夏になると思い出すのは、毎年、息子が幼い頃の3才~6才ぐらいまで行っていた2泊3日のファミリーワークです。

私と女房と息子と、家族全員で行っていたのです。

瀬戸内海の日生というところの離れ小島でファミリーワークがありました。

息子のような幼い子どもたちは、貝を拾ったり、浜辺で砂遊びをしたり、海の波と戯れたり、子どもたちだけの世界でのんびりと一日中過ごすのです。

参加している少し年長の子が自然に、小さい子たちを遊んでくれるのです。子どもたちのワーク、集団遊びです。

また、幼稚園の先生をやっている方が一人居て、子どもたちを見守ってくれるので安心でした。

太陽の下で思い切り遊んだ息子は日焼けをして、いつも、もう真っ黒になっていました。

当時、子ども同士の関係が苦手だった私の息子は、定期的に教育センターでプレイセラピーを受けていました。

ですから、大人が相手でなく、このように子ども同士で遊べるというのは、親にとってありがたいことでした。

さて、子ども達が海で遊んでいる間、私たち大人は民宿でカウンセリング・ワークショップをやっていました。

けれど、ご飯の時や夜になると親子が合流します。寝るのも一緒です。ですから、親子ともどもに安心して自分のやりたいことができました。


当時、息子と一緒に遊んでいた女の子から、結婚しましたとか、子どもが生まれました、とかの葉書が届きます。

もう、そんなに年月が経ったのかと驚くのです。子どもたちにとって印象深い経験ができたのだと思います。


普通、カウンセリングの研修会へ行くというと、子どもたちを家に残していかなければならないので、なかなか出られません。

その意味でも、大人にとってもなかなかよいワークでした。

また、子どもたちにとっても、3日間を安全に思い切り遊べる経験は、最高の夏のプレゼントだったと思います。

私は、そこでゲシュタルトセラピーをやっていたのを思い出すのですが、思い切りリラックスできていたように覚えています。


さて、その私の息子も大学生になって、この夏休みも高校の時から続けている障害児学童クラブのボランテアをするそうです。

いろいろな方の支援のお陰で、息子も世話をしてもらう方から、世話をする方へ成長しました。

息子もいずれ結婚して子どもができて、私と同じようにファミリーワークへ行くのかも知れません。

そんなことを想像して楽しんでいる私です。

私も、今後は、このような素敵なワークを企画してみたいなあと思っています。

|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=563||対人関係障害|05:28 PM|comments (2)trackback (0)

コメント一覧

kyoto|EMAIL|URL|2007/07/22 10:41 PM|tinLQHnE|

aqua|EMAIL|URL|2007/07/22 10:04 PM|VPjtJlwI|

家族療法の被験者

author:kyoto2007/05/28 Monday

今日は、睡眠健康指導士の研修で朝から神戸まで行っていました。自宅から原付バイクで亀岡駅まで行って、亀岡駅からJR嵯峨野線に乗って京都まで出て、そこで東海道線の新快速に乗って三宮まで行きました。また、そこから神戸空港行きのポートライナーで臨床研究センター前というところまで行きました。えらい遠かったです。夕方に研修が終って、また逆のコースで帰りました。

神戸は、私の好きな町です。小学校時代から何度も訪ねてきています。カウンセリングの研修も、ほとんど神戸で受けています。8年ぐらいは通ったでしょうか。でも、最近になっては、久しぶりだったこともあり、京都からやはり遠いなあと思いました。

神戸からの帰り、もう夜遅くになっていましたが、京都から嵯峨野線に乗って嵯峨嵐山駅に電車が止まった時、ふと、駅前にホテルがあって、そこで私の家の者全員で家族療法の被験者になったことを思い出しました。その当時、私の母親が生きていたので、車椅子を押してここまできました。

その時、母親に「嵐山へ行こうか」と言って連れて行ったのです。ホテルでビデオを回しながら、いろいろとインタビューみたいなことを受けました。母親は、親切な人に息子の私のことや孫のことを訊ねられて嬉しそうでした。20人ぐらいの研修生の方が遠巻きに観察されていたように思います。私たちは家族療法の実験台みたいになったのですが、いい経験や思い出になったなあと思います。

頂いた謝礼で、母親に寿司やケーキを食べさせてやりました。母は喜びました。そのことも含めて、行ってよかったです。亡くなった母とのよい思い出になりました。

今の世の中は、個人カウンセリングだけで対応できなくて、家族全員をカウンセリングしていくような家族療法が有効とされてきています。私自身は家族療法をやりませんが、大事なことだと思っています。

電車での帰り道に、ふと、その当時のことを思い出して、懐かしく思いました。

|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=504||対人関係障害|12:19 AM|comments (0)trackback (0)

アルコール問題のカウンセリング

author:kyoto2007/02/23 Friday

私は、まったくお酒を飲まなくなってずいぶん経ちます。思い切って、お酒を止めてしまってよかったなあと思っています。

私のような対人関係がうまくとれないようなタイプの人間は、お酒を飲まない方がよいと思っています。

これは私のことですが、対人関係がうまくいかないとストレスが溜まって、お酒でも飲んで自分を癒すことが手っ取り早いのです。ですが、これはよい方法だとは思われません。何故なら、お酒を飲んで一時的に元気を取り戻しても、肝心の人間関係がうまくいってないものですから、またストレスが溜まってしまいます。こんなことを繰り返すうちに体を壊してしまうわけです。

対人関係のイライラでストレスが溜まるのは分かりますが、お酒よりも対人関係を修復する手だてを打つ方が現実的で必要なことです。

私の経験では、お酒を止めたばかりの一時期、酒以外に趣味などのストレスを発散する手段を知らなかったので、自分を持てあまして余計にストレスが溜まりました。仕事を終えてからの夜の時間をどう過ごしたらよいのか分からなかったのです。習慣というのか、暗くなったらお酒を飲むという生活を続けてきたものですから、これを切り替えるのは、なかなか大変でした。何をしたらよいのか分からないので、またお酒が飲みたくなってくるのですね。ここがポイントで、かなり難しいところです。

私はアルコール問題のカウンセリングもやります。その時は、受容的・共感的なカウンセリングでなく、かなり指示的なカウンセリングの手法を使います。特に初期の頃は、指示的なことが中心になります。何故なら、普通は受容的・共感的理解をやると、カウンセラーから同意を得られたと受け取ることが多いのです。その弊害があるからです。

ですから、「あなたは、お酒を飲みたい気持ちなんですね。」などと、共感的なことを言うと、クライエントに「お酒を飲んでもいいんだ」と理解され、大酒を飲ましてしまうことになりかねません。ですから私は、「お酒を飲むのを一定期間やめたら本格的なカウンセリングをやり始めます」というような対応をします。病院への受診と共に断酒会やAAなどの自助グループへの参加も勧めますが、少なくとも私のところに来ている間はお酒が飲めないように、「お酒をやめたら」と、このような対応をするのです。

うまくお酒を止められる人もいれば、やめられない人もいます。
本当のところを言って、酔った人のカウンセリングはできませんので、時間をかけてその人が素面になるのを待つわけです。
アルコール問題のカウンセリングは、素面になってもらわないと始められないというのが私の考え方です。お酒を飲まない素面の自分で問題と向かい合ってもらうことになります。素面のクリアーな頭で考えると、今後どうしたらよいのかという真っ当な考えや思いが浮かんできます。。私はその方針でいます。

対人関係がうまくとれない人、「人間関係でストレスが溜まる」と言ってお酒を飲むのは、やめといた方がいいですよ。偉そうなことを言えた義理ではない私ですが、老婆心から言っておきます。

|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=402||対人関係障害|11:44 PM|comments (0)trackback (0)

そうじの効用

author:kyoto2006/12/29 Friday

今日はいよいよ掃除を始めようかなあ、という気分になっています。
そうじは、精神衛生上でとてもよい効果があります。気分がすっきりとするのですね。

私の家も、私の部屋も、普段はいろいろなものが乱雑になって散らかっています。これは私の心の状態が、部屋の散らかりになって表われている訳です。普段は、あの散らかった状態が自分の気持ちと合っているので、何となく落ち着けます。あまりきれいに整理されていると、無機的というのか寒い感じになりますね。ですから、適当に散らかっている方が普段は落ち着くわけです。

でも、お正月が近くなってくると、何となく片付けたくなってくるのですね。散らかりではなく、心もきれいにして落ち着きたいわけです。
私はそうじが好きで、暇があったらごそごそと掃除をしていた時期があるのです。でも、この頃は忙しくて時間がなくなってきたことや体力の衰えで、なかなか思うように掃除ができなくなってきました。思うに、掃除は雑巾がけが精神衛生的によいように感じます。

極端な話ですが、へんなカウンセリングを受けるよりも、掃除をやる方が気分をすっきりさせるのは効果があると本気で思っています。
そら、汚いものをきれいにするのですから、掃除の効用は思っている以上に大きいですよ。

さあ、私も家の大掃除を始めましょうか。そやそや、年賀状を先に書かなあきまへんな。そっちが先です。

|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=332||対人関係障害|02:17 PM|comments (2)trackback (0)

コメント一覧

kyoto|EMAIL|URL|2006/12/30 11:36 PM|tinLQHnE|

aqua|EMAIL|URL|2006/12/30 09:55 PM|NOcOkDjE|

食べ物

author:kyoto2006/12/05 Tuesday

食べ物と人間関係は密接なところがあります。
何か困った問題や心配事が起きたり、気分の悪い出来事があったりした時は、食欲がなくなってしまいます。
出来事の状況を受け入れることと、食べ物を食べることは、両方とも自分への取り入れになるからです。つまり両方共に受け入れられなくなるのですね。連動するわけです。ですから、食欲が一つの心の状態のバロメーターになっていると思います。

私は、すごく偏食があって自分でも困っていたところがありました。最近でこそ、何でも食べられるようになってきたのですが、食べ物の好き嫌いが多いです。特に、鶏肉がどうしても好きになれません。これだけは、どうしても駄目なのです。

子どもの頃、私の家は、すごく貧乏な生活をしていました。私が生まれてすぐに父親が死んだものですから、収入がなく、食べ物に困る生活をしていました。母親一人で子どもが4人いたものですから、働き手がいません。それで一時的に生活保護を受けていた時期があったそうです。
このことは、私が社会福祉の道に進むことになったのと関係が深いのです。(このことは、また、機会があったら記事にします。)

生活保護を受けていた時に、すじ肉を買うために、母親がうっかり肉屋の店の前に並んだことがあったそうです。そしたら、すぐに民生委員のところに苦情がきました。生活保護を受けながら肉を食べるとはどういうことだ、というものでした。母にすれば、食べ盛りの男ばっかりの子どもに栄養のあるものを食べさせたいと思ったようですが、それがあだになりました。それで母は、そんなことを言われるのなら生活保護をやめる、と辞退してしまったのです。母もプライドが高かったのですね。
ところが、収入がなくなったものですから、全く食べるものがない、本当の貧乏生活になってしまったのです。

母は、いろいろなことをやってお金を稼ごうとしたようですが、そんな儲かる仕事などありません。ですから、毎日食べるものがなく、私達は飢えに苦しんでいたのです。一家心中をするところです。

そんなわけで、私の小さい頃は、食べたり食べなかったりする生活を送っていました。そんな生活でも、時々はご馳走を食べる日があったのです。肉と卵が食べられる日があったのです。「にくや、肉や!」「たまごや卵や!」 と、私達子どもは大喜びでした。ところがある日、その食べ物が鳥の内臓であることに兄が気付いたのです。あのご馳走は、鳥の卵巣だったのですね。嬉しくて喜んで食べていたものが、鳥の内臓だったなんて、ショックでした。

そんなことがあって、自分でも分からないのですが、ある時期から鶏肉が食べられなくなりました。
大人になってから、少しは食べるようになっているのですが、やはりあまり好きになれません。鶏肉にまつわるいろいろな出来事を思い出してしまうからだと思います。

ちなみに、私の息子は鶏肉をガツガツと食べます。息子にまで鶏肉嫌いを伝染させてはいけない、と気をつけて育てました。家族で私だけ鶏肉を食べないのです。

|http://www.hozugawa.net/kyoto/index.php?e=294||対人関係障害|08:08 PM|comments (4)trackback (0)

コメント一覧

kyoto|EMAIL|URL|2006/12/08 06:26 PM|tinLQHnE|

つけもの石|EMAIL|URL|2006/12/08 01:29 PM|BLbf3nus|

kyoto|EMAIL|URL|2006/12/06 10:07 PM|tinLQHnE|

aqua|EMAIL|URL|2006/12/06 09:54 PM|NOcOkDjE|

 前の記事>>

▲PageTop

Calendar

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30   

<<前月 2010年09月 次月>>

Comments

Link

Profile

LogIn

ゲストモード

UserID:
PassWord:

Admin

AdminID:
PassWord:

Powered By

RSS

Designed by Loco-net.org
Copyright © NPO京都ハートネット::対人関係障害 All Rights Reserved.