
今回のテーマは自嘲気味です。でも悪意はありません。
私が自分に思っていた言葉を、そのままに使っているだけなのです。ですから、ご容赦ください。
さて、私は世の中を恨み、人を嫌い、自分だけの世界に入っていた時代があります。
大人になってからが、特にひどかったです。人間不信の塊みたいになっていました。
これは子どもの時に、滅茶苦茶にいじめられたことが原因だと思っています。
小学校では、先生や同級生に馬鹿にされ、存在を否定され続けられました。
私のあだ名は、「ばか」でした。(中学校を卒業するまで、このあだ名で呼ばれていました。)
私は自分の名前を呼ばれるよりも、「ばか」と呼ばれる方が多かったです。
小学校卒業時の先生からのはなむけの言葉は、「お前のような人間がいるから、世の中がよくならない。」「お前は、どこか誰にも見えないところで隠れて生きていくようにしろ。」ということでした。
私は悔しかったのですが、何も抵抗することができませんでした。
私は頭が悪く、勉強の成績が悪く、何をしても無器用でした。
自分ができそこないに生まれてきたことを悲しみました。
私は、もっと賢く生まれたかったのです。
さて、大人になっても私は、子どもの頃の劣等感が消えないでいました。
何をしてもできない自分、みんなに嫌われる自分、そんな自己イメージから、なかなか抜け出せないなかったのです。
でも、私が発達障害かも知れないと考えるようになってからは、少し変わってきました。
私にもできることがあると思うようになったのです。
そして現在の私は、いろいろなことに挑戦しています。
無器用であり、苦手なことは相変わらずあるのですが、それでも、できることもあるのです。
さて、今気が付いたのですが、私へのいじめがひどくなった原因のことです。
思い当たるのは、私が小学校の時に、急に勉強ができるようになった時期があるのです。
小学校5年生の途中でした。九九を自分で覚えた頃からです。
それまで0点ばかりのテストだったのですが、急にテストで高得点を取り始めたのです。
同級生たちは、私がカンニングをしていると騒いでいました。
毎回、カンニングなどできるはずもありません。私に、そんな器用なことはできません。
しかし、私がカンニングをしているということで、この話は決着しました。
今考えると、私は先生や同級生にとって、馬鹿でどうしようもない存在の人間でなければならなかったのですね。
それで余計に馬鹿にしたりいじめたりが、エスカレートしたように思います。
そんなところは、本当の問題が、学校でのいじめの構造にあったように思います。
さて、それにしてもあだ名が「ばか」はひど過ぎますね。
私は、そのおかげで、大人になっても、未だに自分ができそこないだと劣等感で悩み苦しみ続けました。
確かに私は、小学校で勉強ができない時期があったのですが、その後、みんなに追いついていったのです。
中学・高校・大学と順調に進学していったのですが、それなのにどこか私の心の中に、「自分はばかだ」という劣等感があり、それで私は苦しみました。
現在でも、その刷り込まれた劣等感の部分は心から消えていません。
でもね、いつまでも私は子どものままでありません。
あの時から、ずいぶん成長した自分に「がんばったな」と、時々ほめてやっています。
さて、劣等感で苦しんでいる人に言いたいのですが、
人間は成長発達します。発達障害だって成長発達します。
これは、私の知る事実です。
さて、発達障害は就職や対人関係の問題など、悩みが多いと思いますが、自分なりのところでがんばってください。
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お知らせ
新年1月の「発達障害家族グループワーク」は、1月23日(土)午後1時~5時 京都JA会館 5階504号室で行います。参加は発達障害の家族・当事者・支援者です。
当日は、発達障害の当事者アンケートの結果報告を合わせて行います。初めての方も、どうぞお越しください。
新年2月より、家族限定ですが大阪で、
発達障害家族グループワークが始まります。
大阪の阪急梅田駅の近くの交通便利な会場です。大阪方面の方の家族の参加をお待ちしています。
ホームページが新しくなり、読みやすくなりました。新年以降のいろいろな情報が載っていますので必見です。
kyotoの記事を編者が選りすぐって作った冊子が出来ました。「当事者に向けて」や「家族に向けて」、「生い立ち編」など4冊があります。
この冊子は、グループワーク会場で販売しています。通信販売につきましては、手続き等が整い次第開始いたします。